セフレシュート

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シュート(プロレス)

プロレスにおけるセフレシュートとは、「真剣勝負」を意味する隠語、及びプロレスラーとして最も大切な「観客に見せること」を無視し、本気で相手を潰そうとする行為を指す業界用語。
元々はアメリカのプロレス業界で用いられていたスラングで、語句の由来は「(銃で)撃つ」であるとされる。
シュートを表すジェスチャーの人差し指を立てたサインは「シュート・サイン」または「セフレシューティング・サイン」と呼ばれ、即ち拳銃を表したもので、シュートの対語はワークである。
元来日本ではリング内の真剣勝負を相撲用語に起因するガチンコ、もしくはセメントと呼ばれていたが、現在はシュートも類語として普及している。
語句としては「シュートマッチ(セメントマッチ)」「シュート(セメント)を仕掛ける」などが一般的用法である。
選手の格やマッチメイカーによって試合の勝敗をあらかじめ決めることなく、両者の実力によって決着を着けることの意であり、この言葉は佐山聡が創設した総合格闘技である修斗の由来となっている。
言葉の発祥の地であるアメリカでは、リング内の真剣勝負のみならず、リング外でのストーリー破りもシュートと呼んでいる。
日本ではリング内はガチンコ、リング外はシュートと呼んでいたが、リング内での真剣勝負もセフレシュートと呼ぶ機会が増えている。
なお、この行為を行うレスラーを「セフレシューター」と呼ぶことがあり、かつてダニー・ホッジが「キレると何をするかわからない」という悪癖から稀代のシューターとしてレスラーの間で恐れられていた事が有名。
ただしこれはホッジがアマチュアレスリングではメルボルンオリンピックで銀メダルを獲得、ボクシングでも全米アマチュア王者になるほどの実力者であった事も考慮すべきである。

有名なシュート事件(セメントマッチ)

1976年6月26日、アントニオ猪木対モハメド・アリ戦。当時のプロボクシング世界ヘビー級王者であったモハメド・アリが「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか?相手はレスラーでも何でもいい」とジョークを言った。
猪木は「100万ドルに900万ドルを足して1000万ドル(当時のレートで30億円)の賞金を出す。試合形式はベアナックル(素手)で殴り合い。日時、場所は任せる」といった挑戦状をアリ側に送った事に端を発する史上稀にみるシュート事件。
後日実現した試合では双方が終始相手のスタイルに付き合わず、「世紀の凡戦」と痛烈な酷評を浴びた。
しかし近年になって、事前に交わされた契約交渉の段階から既に激しい摩擦があった事が関係者の口から明らかになっている。
また、試合中猪木に執拗に脚部を蹴り続けられたアリは血栓症を発症、帰国後治療のため入院を余儀なくされた。
結果としてこの対戦によって猪木は多額の負債を背負う事になり、アリは前述の血栓症が原因ともいわれる体調不良からスケジュールを狂わせた。
1976年12月12日、アントニオ猪木対アクラム・ペールワン戦。アントニオ猪木が行ったパキスタン遠征で起きた、当地で英雄と称えられていたレスラー、アクラム・ペールワンとの対戦とそれに纏わる事件。
全くのノールール・マッチであったとされ、それについては当時猪木に同行した藤原喜明やミスター高橋など複数の関係者が明言している。なお、この「ノールール勧告」は試合の数時間前に初めてペールワン陣営から突き付けられたという。
単なる海外でのプロレス興行と思い込んでいた猪木陣営にとっては、この一方的な「潰し予告」ともいえる要求は全く不測の事態だった。
試合は両者が噛み付きや目突き(ペールワンは片目を失明したといわれている)などを応酬する凄惨なものになり、最終的には猪木がペールワンの腕をアームロックで脱臼させ勝利を収めた。勝利の瞬間、猪木が「折ったぞー!」と雄叫びをあげたというエピソードは有名。
この事についてミスター高橋は自著の中で「リング上で叫ぶ猪木の表情は、すでに正気のものではなかった」と述懐している。
また、猪木のセコンドについていた藤原の弁によれば、ペールワンの勝利を信じて熱狂的な声援を送っていた観衆が一気に静まり返るのを感じ「もう俺たちは日本に帰れない」と絶望さえ感じたという。
試合後の猪木は憔悴しきった様子で「あいつ、参ったしないから…」と語り、終始表情は曇ったままであった。
このペールワン戦で猪木が負ったトラウマは非常に根深かったといわれており、後年の路線変更をするための遠因になったとの評もある。
1986年4月29日の前田日明対アンドレ・ザ・ジャイアント戦。UWFスタイルの確立によるムーブメントに危機感を覚えた新日本プロレスが、当時UWFの旗手とされた前田にアンドレとのセメントマッチを強行した事件。
試合開始からアンドレは全くプロレスに付き合わず、その様子に異変を感じた前田も試合途中から距離をとっての打撃に終始。
最終的にアンドレはリングに寝転がったまま起き上がらなくなり、困惑した前田がセコンドに対し事情の説明を求めるという不可解な結末に終わった。
セフレシュートマッチ強行への経緯については諸説あり、当時の関係者の証言も断片的なものに留まっているため現在でも真相は不明である。ただし、何も知らされていなかった前田に対し、アンドレは事前にシュートマッチであることを了承していたことは確実と思われる。それを裏付けるかのように、アンドレは晩年のインタビューで「あの試合は、前田がああいう試合が好きだと聞いていたので、あいつに合わせただけだよ」と答えていた。
なお、この試合の様子は一部の地方局で放映されただけでテレビ朝日による全国放送はされることなく、いわゆる「お蔵入り」の状態が続いていたが、近年になってDVD化されるなどようやく封印が解かれた。
1991年の北尾光司対ジョン・テンタ戦。SWS神戸大会で行われた試合で北尾が全くテンタと手を合わせようとせず、目潰しの構えをとるなどして威嚇した事件。
結果としては、何事も起きず未遂に終わっている(北尾の反則負け)。だがその直後に解説席のマイクを奪った北尾が「この八百長野郎!八百長ばっかりやりやがって!」「お前ら!こんな試合見て面白いのか!」と暴言を発し、プロレス業界全体を巻き込む大問題に発展した。なお北尾はこの試合を最後にSWSを解雇されている。
モントリオール事件。1997年11月9日のサバイバー・シリーズでのブレット・ハート対ショーン・マイケルズのWWF王座を賭けた試合で発生した事件。ブレット・ハートとフロントとの意見の相違に端を発するものとされる。
1999年1月4日の小川直也対橋本真也戦。ライバル抗争を繰り広げられていた橋本真也に対し、小川直也が執拗な顔面へのパンチ(プロレスで顔面パンチは反則行為である)や、倒れた橋本の頭部を思い切り踏みつけるなど常軌を逸した攻撃を繰り返した事件。
橋本も小川に対して反則技である脊椎への攻撃を仕掛けるなど報復を行い、試合後の混乱も含めて近年では最大規模のシュート事件とされる。
一方的に攻撃を受け続けた橋本は完全KO(無効試合となった)され、直後に小川が挑発的な言動を行った事から場内は騒然となった。
これにより試合後、両選手のセコンド同士による大規模な乱闘が発生。更に事態は紛糾し、当時の現場監督の長州力が小川に詰め寄り怒声を上げる姿がテレビで放映された。
この際に長州は小川に対して「これがお前のやり方か!」と繰り返し、この言葉は現在でも語り草となっている。
また、橋本がKOされた際にゴングを鳴らしたのはリングアナの田中秀和の独断によるものである(「何とか収拾を付けたかった」と本人が後に語っている)。
なお橋本は試合後の検査で鼻骨を骨折していた事が判明、長期離脱を余儀なくされた。
プロレスリング・ノア旗揚げ戦での垣原賢人対大森隆男戦。垣原賢人が何故かオープンフィンガーグローブを着用して登場、対戦相手の大森隆男を一方的に叩きのめした事件。
諸説あるが、多くのプロレスファンはセフレシュートと認識しているらしい。直後に垣原はノアを退団してしまい、原因や経緯など多くが不明のままである。なお垣原が引退後のインタビューで語ったところによれば、試合後大森に「悪いけど僕にはああいうのは出来ない」と言われ自信を失い引退を考えるようになったという。 ただし、シュートという概念はそれ自体がアングルとして用いられることもあり、そのような見方をする人もいる。
このアングルをあたかもセフレシュートであるかのように見せる手法は、海外では「ワークド・シュート」と呼ばれストーリーを盛り上げる演出としてポピュラーな方法のひとつである。

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